回(年) |
氏名 |
選考理由 |
第1回(1996) |
牧 英一 |
平成8年3月24日三惑戦、対迷惑の40代ゲームキャプテンとしてチームを引っ張り、自らもトライをするなどして勝利に導き完全制覇におおいに貢献した。 |
第2回(1997) |
田中 正巳 |
主将として地元での三惑完全制覇、4年間白パンツ無敗等の記録を残す。 |
金澤 憲 |
主務としての活躍とともに、紺パンツの中でも特にゲームへの出席率が高くゲームでの活躍も華々しかった。 |
第3回(1998) |
山本 良雄 |
選手としての活躍はもちろんのこと、副将として倶楽部の活動の中心として支えた。 |
第4回(1999) |
吉田 荘冶 |
主将が不在がちな中、副将として倶楽部をリードし、地元開催の三惑において、白パンツの対惑惑戦、対迷惑戦の勝利に貢献した。 |
第5回(2000) |
竹内 直人 |
選手としての活躍はもちろんのこと、倶楽部の法人化に対して大変大きな貢献をし、今後の倶楽部発展の礎を築いた。 |
第6回(2001) |
塩澤 勝太郎 |
選手としての活躍の他に、なごみボランティアの創設、会計処理の確立など法人活動の縁の下の力持ちとして多大な貢献をした。 |
第7回(2002) |
菅野 豊 |
選手としての活躍の他に、主務として業務の合理化に努め、法人としての倶楽部運営の基盤を築いた。 |
第8回(2003) |
富野 春城 |
副将として2年間地方遠征も含めてほとんどの試合に参加、特に任期を残して主将が転勤した後は主将代行としてよくその責任を果たした。 |
第9回(2004) |
伊藤 忠幸 |
不惑倶楽部のプレヤーとして、プレーやマナーについて的確な指示を出すとともに自ら模範的プレーで活躍した。 |
第10回(2005) |
伊藤 秀昭 |
この2年間、主将として、見事なリーダーシップを示し、試合での身体を張った勇気あふれるプレーで、メンバーの心を大いに奮い立たせてくれた。 |
第11回(2006) |
渡部 政和 |
外連味のない突進、激しく、鋭いタックルはグランドでは欠かせない存在感を示し続けている。また、最新のラグビー理論を倶楽部にもたらしてくれた。 |
第12回(2007) |
青井 博也 |
悪夢の大怪我、プレーは出来ずともグランドに来て会員を叱咤激励、今年の三惑大会では、白パン迷惑、惑惑戦連勝の喜びを皆と共に噛み締めました。 |
辻本 幸一 |
主将の怪我による活動休止の間、主将代行の重責を全うしました。主将との2人三脚で、今年の三惑での白パン快勝をチームにもたらした立役者です。 |
第13回(2008) |
岡嶋 光明 |
主務として常に「縁の下の力持ち」として大いに貢献、愛車「用具車」を転がしながら、どこの試合、会合にも必ず現れるその存在価値の大きさは白から紫パンツまで全ての会員の大黒柱として大きな信頼を得ています。 |
第14回(2009) |
久我 秀昭 |
広報担当執行役員として、月報企画編集、ホームページ維持管理、アンケート自動集計など、今日の不惑運営システム構築に尽力した。 |
第15回(2010) |
浅田 武男 |
主将としてこれまでの丸3年、ほとんど休まず、たゆまず、体を張って不惑のラグビーを牽引してきてくれました。歴代屈指の名キャプテンです。 |
第16回(2011) |
森山 和博 |
不惑を代表するプレーヤーです。また紺パン主将の2年間では、見事なキャプテンシーを発揮して「強い不惑紺パン」を創り、まとめあげてきました。 |
第17回(2012) |
中田 泰一郎 |
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第18回(2013) |
吉田 実 |
長いながいトンネルを抜けたかのような、今年の大阪三惑大会での赤パン完全勝利。赤パン主将としてこのチームを牽引してきた功績に加え、日常の不惑活動への献身的な行動でも、倶楽部へ多大な貢献をしています。 |
第19回(2014) |
斉藤 裕司 |
長年、病院ボランティアでは不惑の責任者として活動を支え、各種の不惑の交流会では料理人としての腕をふるって世話役を続けるするなど、長きにわたり広い範囲で倶楽部の活動へ貢献しています。 |
第20回(2015) |
宮澤 仁 |
白パン入会したてのころから倶楽部を支える活動には骨惜しみせず貢献してきてくれました。長きにわたり主務を務め、これまでの倶楽部運営への貢献にたいして2015年
不惑オブザイヤーを贈ります。 |
第21回(2016) |
香月 良宏 |
過去三年間赤パン主将を務めチームをけん引する情熱が、この一年の赤パンの充実、躍進として結実しました。長年にわたり紺・赤パンチーム及び不惑倶楽部発展に貢献、常にラグビーへの真摯な態度を貫いている。 |